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「まちをつくるアスリート」プロジェクトとは

――スポーツを通じて、まちの未来をともに考える対話のプロジェクトです。

「まちをつくるアスリート」は、競技者、市民、専門家、そして応援する人々が、それぞれの立場からスポーツの価値を見つめ直し、まちの未来について語り合う対話のプロジェクトです。

このプロジェクトは、2024年に横浜市が発表した「横浜国際プール再整備計画案」をきっかけに始まりました。

「パラ水泳の聖地」としての歩みと価値

横浜国際プールは、1998年に開業した日本初の国際競技用プールであり、障害のあるなしを問わず誰もが使える施設として、「障害者ウェルカム」の理念をもとに運営されてきました。
開業当時、日本では障害者スポーツはまだ“福祉”の領域とみなされており、「スポーツ」としての認知は広がっていませんでした。

その中で、知的・身体・聴覚に障害のあるスイマーが健常者と共に練習し、切磋琢磨する環境が整備され、2001年からは知的障害者水泳日本選手権、2016年以降はジャパンパラ水泳大会が定期開催されるようになりました。
このような環境のもとで、日本のパラ水泳代表は大きく成長し、東京2020やパリ2024パラリンピックでも成果を上げてきました。

この場所は、多様な競技者が互いに影響を与え合いながら育ち合える、まさに「パラ水泳の聖地」とも呼ばれる存在です。

なぜ、現場の声が届かないのでしょうか

再整備計画案では、この「パラ水泳の聖地」であるメインプールを廃止し、通年使用のスポーツフロアに転換する案が示されました。
水泳関係者や市民からは強い反対の声が上がり、2万人を超える署名と、日本水泳連盟および日本パラ水泳連盟のトップによる横浜市長への面談申し入れも行われました。しかし、これらの声は行政に受け止められないまま、原案が示されました。

この背景には、パラスポーツの所管が今も「健康福祉局」にあること、そして2011年のスポーツ基本法改正によって文部科学省・スポーツ庁へと移行したパラスポーツ政策が、自治体で十分に反映されていないという構造的な課題があります。

つまり、制度上の「縦割り」により、パラ水泳が“スポーツの現場”として扱われず、必要な情報が共有されないまま計画が進行してしまったのです。
その結果、現場で築かれてきた価値や声が「情報の死角」に追いやられ、社会全体の判断材料からこぼれ落ちています。

国際的潮流とのズレ

たとえば、パリ2024パラリンピックでは「市民に開かれたスポーツ」が掲げられ、ユニバーサルデザインを基盤とした公共施設の整備が進んでいます。
今年(2025年)9月には、シンガポールのOCBCアクアティックセンターにて、アジア初のパラ水泳世界選手権が開催されますが、同施設は障害者と健常者が共に利用する「市民共用型ナショナルセンター」です。

こうした世界的な流れの中で、横浜がこれまで築いてきたレガシーを自ら手放すかのような計画案は、都市としての国際性・公共性を問い直す必要があると言えるでしょう。

利用実態と未来への責任

横浜には、約70のスイミングクラブがあり、水泳は「子どもの習い事」ランキングでも常に上位です。
横浜国際プールは、全国的にも稀少な「長水路公認・観客席4,000・バリアフリー対応可」の施設であり、パラ・オリンピック両競技者が共に使える都市型施設として、国内外からも注目されています。

スポーツの未来を「収益性」や「施設効率」だけで判断する時代ではなく、文化として継承すべき価値をどう守るかが問われています。

「まちをつくるアスリート」が目指すこと

私たちは、この横浜国際プールの問題をきっかけに、競技者・市民・専門家の立場を超えて語り合い、「公共」や「インクルーシブ」という言葉の意味を、現場の経験から言葉にしていきたいと考えています。

横浜市民にとってスポーツは、勝敗を超えて、人とまちを育てる営みです。
「まちをつくるアスリート」は、一人ひとりの体験や言葉を起点に、見えにくかった問題に光をあて、よりよい社会へのヒントを共有し合う場を目指しています。

これまでの声が届かなかったのは、意見が足りなかったのではなく、構造的に「届かないようになっていた」からです。
この死角に目を向け、次の世代に誇れるまちのあり方を考えていくために、私たちは発信し、そしてつながっていきたいと願っています。